高崎市吉井町吉井川の上野山延命密院。

延命密院 (2)
延命密院は延徳2年(1490年)に関東管領・上杉顕定の開基、慈尊阿闍梨の開山。当時は延命院(本尊の延命地蔵菩薩から)と称した。明治39年(1906年)甘楽町福島の正覚寺、同40年池村の蓮勝寺、塩川村の泉福寺を合併し、延命密院と改称している。

石段を登って行くと、趣のある囲い塀が見えてくる。ちょっと、京都の寺院のようだ。(そんなに京都の寺院は知らないけど・・・。)

延命密院 (3)
延命密院 (4)
明治3年(1870年)焼失、明治28年(1895年)再建。

延命密院 (5)
墓所には歴代住職の墓がある。歴史を感じる五輪塔の数々。

慶安2年(1649年)徳川3代将軍・家光よりご朱印を賜う。また同年、当地領主・溝口勝信より黒印地を寄付されている。ちなみに、勝信の墓所は吉井町神保の仁叟寺にある。
(「高崎市吉井町神保・天祐山仁叟寺」参照)

明治40年(1907年)に合併された荷福山蓮勝寺は非常に歴史のある古寺のため、ちょっと紹介しておく。

蓮勝寺は和銅年間(708~15年)の開創と伝わる古社。羊太夫が朝廷から謀反の疑いで攻められた際、その兵火で焼失。数年後再建。弘仁年間(821~24年)空海が八束山で秘密護摩行を行い、五鈷金剛及び水精珠五輪塔を留める。これは蓮勝寺の秘宝となっていたという。長根城主・小幡縫殿介が七堂伽藍、三層宝塔並びに十二坊を造営、その祈願所としている。しかし天文年間(1532~55年)に兵火にかかり、その後も明治12年(1879年)、同22年(1889年)と火災に遇い、再建を断念。明治40年に延命院と合併している。