高崎市吉井町吉井の菩提山法林寺。

法林寺 (1)
法林寺 (2)
法林寺 (3)
天正14年(1586年)の創建といわれている。通称「法れん寺」横丁というところが参道で、本堂は北向きである。寺宝である鋳造阿弥陀如来像は、鎌倉時代に製作されたものと推定される。

法林寺 (4)
ここには吉井藩の代官として領内で良政を行った橳島(ぬでじま)家3代の墓がある。

初代・丹斎高堅(1763~1848年)は鍛治町の名家橳島(ぬでじま)家の次男として生まれ、文化2年(1805年)42歳で代官に就任した。文は儒者・原閑龍に学び、剣は馬庭念流の高弟で文武両道を究めた。

2代・丹太夫高茂(1793~1869年)、文化8年(1811年)19歳で出仕、天保6年(1835年)43歳で養父・高堅に代わって代官就任。文武に勝れ、孝明天皇即位の儀式に賀使の副使を勤めたりした。

3代・丹治高行(1821~1899年)、天保8年(1837年)出仕、安政3年(1856年)36歳の時に御通掛、吟味役などを命ぜられ、後に代官就任。明治元年(1868年)、東征軍(官軍)を藩主名代副使として追分本陣まで出迎えた。後に岩鼻県監察を勤めた。

橳島家は、それぞれ代官として藩政と領内の民政に尽力して、偉大な業績を残したということ(らしい)。