高崎市吉井町吉井の吉井山隆興院玄太寺(げんたいじ)。
ここには、初代吉井藩主・菅沼定利の墓がある。

玄太寺 (1)
玄太寺 (2)
天正18年(1590年)吉井藩2万石に任ぜられた菅沼定利の開山。旧吉井町役場の近くにあり、街中のため境内は非常に狭い。(昔は広かったんだろうけど。)

玄太寺 (3)
その狭い境内の本堂前に、初代吉井藩主・菅沼定利の墓がある。菅沼定利は領内で検地を実施し、六斎市を催すなど治政の安定化に努めた。関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠軍の一員として、信州上田城の真田昌幸攻めに参加している。

この上田攻めが原因で、秀忠は関ヶ原に遅刻してるけどね。

玄太寺 (4)
隣接している観音堂。ここは厄除け観音と呼ばれ、参拝者も多い。今は玄太寺の管轄になっているらしいが、創建は玄太寺より古いと思われる。それは、傍らに鎌倉時代作の阿弥陀三尊坐像があるから。

玄太寺 (5)
中央の阿弥陀如来像は後背が一部欠損している。他の二尊は観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像と思われる。上部が欠損しているが、いずれも阿弥陀如来の脇侍と思われる。

ここまで風化してるんだから、野ざらしのままではまずいと思うぞ。高崎市も少し考えた方がいいよ。一応、高崎市の重文に指定されてるんだからさ。