高崎市吉井町多胡の慈雲山松田院龍源寺。

龍源寺 (1)
龍源寺 (2)
寺伝によると、多胡村字元屋敷の下城山に華應存永が創建したが、5代目・智眼慶察のときに、山崩れで堂宇・墓地ともに埋没した。

龍源寺 (3)
龍源寺 (4)
正保3年(1646年)、当地領主の旗本・門奈六左衛門の寄進により、仁叟寺9世・日州壽朔大和尚を請来し、曹洞宗として開山。

龍源寺 (5)
参道には、義民・白田六右衛門の顕彰碑がある。元禄初めに大干ばつが生じ、多胡村地域の名主を務めていた六右衛門は、この悲惨なありさまを目にして、意を決して領主より保管を命ぜられていた年貢米の殻倉を解放し、米をすべての人々に分け与えた。

殻倉を許可なく開けることは、重大な違法行為であり六右衛門は捕えられ、龍源寺前方のキュウリ畑にて斬首された。時に元禄2年(1689年)5月4日。24歳の若さであったという。

六右衛門がキュウリ畑で斬首されて以来、白田家はキュウリを作らない習わしとなっている。

この時、当地を治めていたのは、公家から武士に転身したことで有名な鷹司松平信平。まだ7000石の旗本時代。孫の信清が大名(吉井藩主)になるのは宝永6年(1709年)のことである。(「吉井藩の歴史を勉強しました -吉井郷土資料館-」参照。)