高崎市下里見町の郷見(さとみ)神社。

郷見神社 (1)
郷見神社 (2)
郷見神社は豊城入彦命の陵墓との伝承がある前方後円墳に、里見義俊が八幡宮を勧請したのが始まりと伝わる。義俊は新田氏の祖・義重の庶長子で里見氏の祖。義俊の没年は嘉応2年(1170年)とされるので、里見八幡宮の創建はそのころと考えられる。その後、戦国時代に武田信玄が里見郷を支配下に置いた際、諏訪大明神を勧請し諏訪神社となっている。

明治43年(1910年)下里見地域内の他社(八幡宮、月読宮、諏訪大明神、天満宮)を合祀し、郷見神社と改め村社となっている。

郷見神社 (3)
郷見神社では、合併した神社の社殿を保存している。写真の建屋の中に、各旧社の社殿(祠?)が入っている。それぞれの社殿を作った年代は正確には判明していないが、徳川初期から中期のものという。

郷見神社 (4)
郷見神社 (6)
前方後円墳の墳丘(方墳部)を削って、社殿が建てられている。棟札によれば、社殿は安政7年(1860年)に再建されたものであり、熊谷出身の小林源太郎の手による彫刻が施されている。

郷見神社 (5)
社殿裏の円墳部には、里見八幡宮の標識があった。往時はここに八幡宮が祀られていたということらしい。