高崎市中里見町の里見山光明寺。

光明寺 (3)
治安3年(1023年)、明慶上人が榛名山に仏道の修行のために登り、ここに草庵を結んだのが、その縁起とされる。

光明寺 (2)
光明寺 (1)
新田義重の庶長子・里見義俊がこの地に館を構え、嘉応2年(1170年)の没後は、里見氏の菩提を弔ってきた。しかし、寛保2年(1742年)烏川の氾濫による水害で、墓域が流され土砂に埋もれるなどし、里見氏累代の墓石も流出している。

光明寺 (5)
境内には「新田公旧里碑」という顕彰碑がある。これは新田義貞が里見氏の出身であることを記したもので、地元ではよく知られた伝承らしい。新田義貞は里見義俊から五代目の忠義の子(里見小五郎)で、新田宗家・新田朝氏に子がないことから養子になったというもの。

ふぅ~ん、真偽のほどはよく分かんないけど、里見地区には義貞伝説(里見小五郎伝説)が残っているらしい。

光明寺 (6)
里見氏瑩域と先祖の供養塔。里見氏の末裔という説もある茶人・千利休もここで供養されている。

千利休は本名を田中与四郎と言い、里見義俊の二男・田中義清を祖とする田中氏の末裔という説がある。一部ではそれなりに信じられているらしく、平成16年(2004年)には裏千家家元が墓参と献茶式を執り行っている。

利休が新田氏(里見氏、田中氏)の末裔であるという根拠は、利休の曾孫・江岑宗左が書いた「千利休由緒書」による。ただし、利休の同時代史料には見当たらないところから内容を疑問視する声が多い。

そう言えば太田の長慶寺にも、千利休が里見氏系田中氏の末裔という碑が建っていたなぁ~。(「長慶天皇の陵墓?? -長慶寺-」参照。)

光明寺 (4)
最後におまけ。同寺に祖先の墓があるという大勲位・中曽根元首相の句碑。顔が浮き彫りで、ちょっと怖い。