高崎市倉渕町の小栗上野介忠順、終焉の地。

小栗上野介 終焉の地 (1)
小栗上野介 終焉の地 (2)
烏川の畔に小栗上野介忠順を偲ぶ顕彰碑が建っている。

小栗忠順は江戸幕府の勘定奉行や外国奉行を歴任し、横須賀造船所の建設、フランス式陸軍制度の採用等、多くの業績を残している。薩長軍との交戦に際し主戦論を唱え罷免された後は権田村に移住、東善寺を仮住まいとしていた。

小栗が多額の軍資金を持ち帰ったというデマから暴徒に襲われた際に見事これを撃退したことで、かえって新政府軍の目にとまってしまい、慶応4年(1868年)新政府軍に捕えられ家臣3名とともに斬首される。

小栗上野介 終焉の地 (3)
終焉の地には、「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と刻まれた碑が建てられている。

小栗上野介 終焉の地 (4)
烏川は今も流れを変えず静かに流れている。

昨年、東善寺の墓所を訪れた際、この終焉の地を見つけられず帰って来たので、ちょっと心残りだったんだよね。(「小栗上野介忠順の墓・諏訪山東善寺」参照。)