高崎市箕郷町の旧下田邸の書院と庭園。

旧下田邸書院、庭園
箕輪城主・長野氏の重臣であった下田大膳正勝の子孫が、落城後この地に土着し、代官として居を構えた屋敷跡。江戸時代の書院と、堀部安兵衛が築庭したと伝わる庭園が残されている。

旧下田邸書院&庭園 (1)
旧下田邸書院&庭園 (4)
書院は平屋造り、切り妻で東に玄関があり、下の間12畳半と上の間10畳により構成されている。式台を設けた玄関など、武家屋敷としての格式を備え、欄間のぶどうにりすを配した模様は、桃山時代の様式を伝える。

旧下田邸書院&庭園 (2)
旧下田邸書院&庭園 (3)
庭園は、忠臣蔵で有名な堀部安兵衛が設計・築造したと伝えられている。池を配した庭園は、回遊できる城郭式庭園で、「青翠園」と呼ばれる。

堀部安兵衛は、江戸へ出る途中、吉井の馬庭念流・樋口十郎右衛門将定の門弟となり、剣術修行をしていた。その時に、たびたび下田家を訪れており、その際に設計・築造したものといわれる。

意外にも、こんなところで堀部安兵衛の名が出てくるとは。

群馬県にも、いくつか赤穂浪士との接点(吉良側も含む)があるので、過去記事も見てやってください。

藤岡市白石・吉良上野介の産湯を汲んだ井戸
赤穂浪士の石像
伝赤穂藩士 大野九郎兵衛の墓・磯明山松岸寺