高崎市倉賀野町の厳堂山安楽寺。

安楽寺 (1)
安楽寺 (2)
天平9年(737年)行基の開基といわれる。行基は奈良の大仏建立の実質的な責任者で、行基菩薩(死後の称号)とまで呼ばれた大僧正。一応、全国を歩きまわったといわれているけど・・・。

安楽寺 (3)
室町時代初期(南北朝期)のものと考えられる2基の異形板碑がある(写真の右2基)。通常の板碑に比べ厚みがあり、天引石製である。

安楽寺 (4)
安楽寺 (5)
安楽寺 (6)
本堂裏には、安楽寺古墳と呼ばれる古墳がある。7世紀後半の築造と推定される円墳で、現在は径20m、高さ4mほどだが、本堂に削られた形となっており、もともとは径30mだったと考えられている。

石室内の壁面に彫られた7体の石仏(七仏薬師如来)が、安楽寺のご本尊である。行基作と伝えられるもので、ご利益は諸病平癒、とりわけ眼の病。

安楽寺 (7)
本堂に古銭の寛永通宝を並べた、「大願成就」という額が奉納されている。これはご本尊の七仏薬師如来に祈願したところ、眼病が快癒したことへのお礼のようだ。明治26年(1893年)とある。

石室内の石仏は、12年ごと(巳年のみ)にご開帳される。おっ! 今年は巳年なので、ご開帳される年だ! 4月8日だってさ!