高崎市若松町の日宮山光明寺。

若松町・光明寺 (1)
若松町・光明寺 (2)
至徳2年(1385年)に安楽院遍照坊として開山したと伝わる。

慶長9年(1604年)、時の住職が高崎藩主・酒井家次の嫡子・忠勝の病気を治癒させた。家次は喜び、仏殿を修復し日宮山光明寺と名付けたという。

若松町・光明寺 (3)
本堂の左には、愛染明王を安置した「愛染堂」が建っている。

若松町・光明寺 (4)
若松町・光明寺 (5)
大正3年(1914年)に内村鑑三が建立した内村家5代の墓。ちなみに鑑三は8代目。

若松町・光明寺 (6)
5代の墓と共に建立した内村家の墓。

内村鑑三は、万延2年(1861年)高崎藩士の子として、江戸で生まれている。5歳のとき高崎に移っているが、明治6年(1873年)には上京しているので、高崎に住んでいたのはわずか7年。

クリスチャンの鑑三が、高崎に先祖の墓を建てたのは、娘・ルツ子の死(明治45年)が影響しているのかもしれない。

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