高崎市赤坂町の松隆山恵徳寺。

恵徳寺 (1)
恵徳寺 (2)
恵徳寺 (3)
天正年間(1573~92年)に、箕輪城主・井伊直政が伯母・恵徳院のために創建。慶長3年(1598年)直政の高崎転封とともに移り、慶長9年(1604年)現在地に移っている。

恵徳寺 (4)
墓地の入り口に、奪衣婆(だつえば)と思われる像があった。

奪衣婆は三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた、亡者の衣服を剥ぎ取る老婆である。亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。

生前に、死後の裁きを軽くしてもらうよう、また身内で不幸があった時など、良い判決がくだされるよう、墓地の入り口に置いて拝んだといわれる。

民間信仰における奪衣婆は、疫病除けや咳止め、特に子供の咳止めに効き目があるといわれる。

この奪衣婆像は、厄除けなどのご利益を求め、みんなが撫でているようで、すっかり擦り減っている。