高崎市下滝町の華敷山補陀落院慈眼寺。

慈眼寺 (1)
聖武天皇の御世(724年~749年)、東大寺初代別当・良弁僧正の開創とされる。

慈眼寺 (2)
慈眼寺 (3)
山門は文政元年(1818年)の造立。山門より南方に広い参道が伸びている。参道両脇にはかつて九ヶ寺が塔頭寺院としてあったという。

慈眼寺 (4)
現在の本堂は昭和58年(1983年)の再建。間口11.5間、奥行8間。本尊は南方の古墳より発見された聖観音。そう言えば、山門西側に古墳らしき土山があった。

慈眼寺と言えば「しだれ桜」が有名。今回はしだれ桜が目的ではなく(もちろん季節も合わないが)、江原源左衛門重久の墓。

慈眼寺 (5)
江原源左衛門は、慶長9年(1604年)に完成した天狗岩用水の延長を関東郡代・伊奈忠次に進言。慶長15年(1610年)、滝川村から玉村までの完成に尽力した。この功績により苗字帯刀を許され、滝川村の名主となっている。

もともと天狗岩用水は、総社城主・秋元長朝が、生活用水や農業用水を確保するために、利根川の水を吉岡町漆原地先で取水し、領内まで引き込んだのが始まり。
(「前橋市総社町・秋元山光巌寺」参照。)

これにより新田が開拓され、米の生産が大きくアップした。群馬のおいしいお米(?)も、天狗岩用水のおかげ?