伊勢崎市境上矢島の喜離久山浄蓮寺。

浄蓮寺 (1)
室町時代の応永年間(1394~1428年)、総持寺の僧秀範の開山とされる。

浄蓮寺 (3)
浄蓮寺 (2)
昭和18年(1943年)の大火により、当時の上矢島分校が焼失した際に、浄蓮寺の本堂を解体し分校を再建したため、永らく本堂がなかったようだ。そして平成8年(1996年)、檀家のみなさんの協力により新本堂が完成した。

最初に応永年間の開山と書いたが、実際には南北朝期に今井清義という人物が、ここにお堂を建て新田一族の菩提を弔いながら、隠遁生活を送っていた。

今井氏は新田義貞の祖父・基氏の弟・今井惟氏を祖とする。今井惟義、清義父子は義貞とともに越前で足利勢と戦っていた。しかし延元3年/建武5年(1338年)義貞は討死。父・惟義もその後討死。

清義は僧浄蓮となり領地である今井郷へ戻り、新田一族の菩提を弔った。清義の死後、浄蓮寺と呼ばれるようになった。

お寺としては応永年間からなのだろうが、実際にはそれ以前から歴史があるということ。