伊勢崎市境下渕名の弥勒寺音二郎・音八父子の墓。

弥勒寺音次郎・音八の墓 (1)
彫工・弥勒寺音次郎、音八父子の墓。畑の中にポツンとある。なぜこの場所?

弥勒寺音次郎・音八の墓 (2)
弥勒寺音次郎(1796~1869年)は長沼村の渡辺家に生まれ、下渕名の宮大工・小林新七の弟子となり、見込まれ同家の婿養子となった。初めは小林音次郎といったが、その後弥勒寺姓に改めた京都・吉田神祇伯家から河内守藤原照房の名を授けられ、名工と称えられた。

主な作品に平塚赤城神社本殿や冠稲荷聖天宮がある。また、安政大地震の被害を受けた伊勢崎藩主の江戸本邸の再建にも携わり、藩主からその功績を称えられ、帯刀を許されている。

弥勒寺音次郎・音八の墓 (3)
音八(1821~87年)は下渕名に生まれ、父とともに多くの神社仏閣の造営に関わっている。父は宮大工として活躍したが、音八は彫刻師の道を選んだ。

万延元年(1860年)に上棟した国指定の重文・笠間稲荷神社本殿の彫刻は有名である。また、皇居賢所の造営にあたり棟梁に選ばれ、最高の栄誉といわれる表玄関正面の「菊花紋」を彫刻している。

音次郎は宮大工であったが、同時に彫刻も手掛けた。音次郎の彫りの線は鋭く、比較的深いが、全体的に穏やかな作風なのに対して、音八は全体的に丸みを帯びた作風といわれる。