伊勢崎市富塚町の金剛山円福寺。
伊勢崎や他にも円福寺というお寺があるので、便宜上「富塚円福寺」と記載。

富塚円福寺 (1)
富塚円福寺 (2)
円福寺は室町時代に那波教元(のりもと)の開基にて創建されたと伝わる。寺域は那波城の出城である富塚城の一部と考えられている。

富塚円福寺 (3)
墓地にある2基の宝篋印塔は、ともに塔身四面にそれぞれに金剛界四仏の種子を刻む。小形であるが、基礎の反花や屋蓋の隅飾突起などに、室町から戦国期の特徴が見られる。

富塚円福寺 (4)
左側の塔には「勝巌塔」の銘と、長享3年(1489年)の年号が刻まれている。那波教元の法号が「勝巌常英大居士」であり、教元の墓塔と推定される。

那波氏は鎌倉幕府草創期の重臣・大江広元の子・政広を祖とし、政広が上野国那波郡の地頭として入部し、那波氏を称したことに始まる。

那波氏のことで思い出したのは、天増寺境内に「那波小太郎・小次郎の墓」と伝わる宝篋印塔があること。(「那波小太郎・小次郎の墓 -天増寺 その2-」参照)

那波教元とどんな関係なのか、関係ないのかも分からないけど・・・。