伊勢崎市連取元町の理春山竹芳寺。

竹芳寺 (1)
竹芳寺は慶長8年(1603年)の創建。開山は義光和尚、開基は駒井政直の妻・理春。

駒井政直が戦(いくさ)で眼に怪我をしてしまい、理春がその治癒をお地蔵様に祈願したところ、政直の傷は治ったがお地蔵様の眼は潰れてしまったという逸話が残る。このお地蔵様のために地蔵堂を造り祀ったのが竹芳寺の始まりという。なお、このお地蔵さまは「片目地蔵」と呼ばれ、竹芳寺の秘仏になっている。

竹芳寺 (2)
竹芳寺 (3)
本堂はまだ新しいので、近年の建立と思われる。祀られている観世音菩薩は駒井家の持仏だが、行基作といわれている。行基は飛鳥時代から奈良時代にかけての僧だが、日本各地にその伝承が残っている。

竹芳寺 (4)
竹芳寺 (5)
駒井氏累代の墓9基。

駒井政直はもともと武田信玄・勝頼に仕えていたが、武田氏滅亡後は徳川家康に降り榊原康政に属した。天正19年(1591年)那波郡に1500石を領している。政直の子・親直は大阪冬・夏の陣に従軍し、加増を受けて1800石となっている。

駒井氏累代の墓と言っても、政直と親直の墓は竹芳寺ではなく、近くの宝幢院にある。ここあるのは三代目以降の遺髪を埋葬した墓碑。ちなみに3代目以降の墓は東京(玉窓寺)にある。

ところで、駒井政直の没年は文禄4年(1596年)なので、由緒の慶長8年(1603年)にはすでに没していたことになる。地蔵堂から竹芳寺になったのが慶長8年とも考えられるが。一方、佐波郡誌(大正12年:1923年刊)には文禄年間(1593~96年)に駒井政直の開基(開山は義光和尚)とある。