佐波郡玉村町板井の医王山宝蔵寺。

宝蔵寺 (1)
宝蔵寺 (2)
宝蔵寺 (3)
ここには江戸時代末の和算の大家・斎藤宜義の墓がある。宜義は関流の和算の大家。関流の関とは、群馬県民なら誰もが知っている関孝和である。
(上毛かるた紀行、「和算の大家 関孝和」参照。)

宜義は天保3年(1832年)16歳のときに「側円適等」を著し、和算家とし頭角を現す。2年後には「算法円理鑑」を著すなど、円理といわれる微積分の研究に優れた業績を残した。その他、「算法円理起源表」や「算法円理新々」などの著書がある。

宜義には数多くの弟子がおり、日本三老農といわれた船津傳次平もそのひとり。
(上毛かるた紀行、「老農 船津傳次平」参照。)

宝蔵寺 (4)
財産を一代で使い果たすほど研究に没頭し、身なりも住まいもかまわず、道を歩くにも和算についての独り言を、ぼそぼそとつぶやいていたという。

明治22年(1889年)74歳でこの世を去る。「数学院乾坤自白宜義居士」という、いかにもふさわしい戒名である。