前橋市上泉町の恵雲山西林寺。
ここには、新陰流の創始者であり、剣聖と呼ばれた上泉伊勢守信綱のお墓がある。

西林寺 (4)
西林寺は天正5年(1577年)に、上泉信綱が嫡子・秀胤の供養のために開基・創建したとされる。秀胤は信綱により北条氏に人質として送られた後、そのまま北条氏に仕官している。その後、秀胤は戦傷がもとで永禄年間(1558~70年)に信綱より先に死去している。

西林寺 (2)
西林寺 (3)
上泉信綱の墓。

新陰流の創始者として知られる信綱は、最初箕輪城の長野業正・業盛父子に仕え、「上州の一本槍」と謳われた。箕輪城落城後は、武田信玄に仕えることを断り、諸国流浪の旅に出て新陰流を広めたとされる。

上泉信綱
上泉自治会館前の信綱像。

足利義輝(室町13第将軍)、柳生宗厳など多くの門弟を持ち、正親町天皇の前で剣技を披露したこともある。信綱から免状を与えられたのは、疋田景兼、柳生宗厳、丸目蔵人佐、香坂要の4人だという。新陰流は現在、柳生宗厳の系列が22世まで引き継がれている。

ちなみに、銅像は信綱が考案した袋竹刀を両手に掲げ、新陰流のもっとも基本形である「無形の位」で構える姿(だそうだ)。