前橋市堀越町の無量山月照院養林寺。

養林寺 (1)
養林寺 (2)
養林寺は天正18年(1590年)に大胡城主・牧野康成が父・成定の菩提を弔うため開山として明誉唱空上人を招き、近戸山養修寺を創建したのが始まり。寺号は成定の法名「養修院殿」から。

その後、慶長9年(1604年)に大胡氏の念仏の旧跡があることを知り、その地(当地)に堂塔伽藍を建立し無量山養林寺を創建。実質的には養修寺の移転だが、養修寺は廃寺となっている。

山門は創建当時のものとされる。本堂は昭和30年(1955年)の再建。

養林寺 (3)
養林寺 (4)
本堂脇の墓地内に、門扉の付いた牧野家の墓所がある。中央が牧野康成の墓である。

牧野家墓所には7基の墓碑がある。実際に養林寺に葬られているのは牧野康成本人とその室、父・成定の室の3名。墓碑だけあるのは父・成定、康成嫡男・忠成、忠成室、忠成娘の4名。

牧野康成は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、德川秀忠軍に属し真田昌幸が守る信濃上田城攻めに参加している。でも、このため秀忠は関ケ原に遅刻するんだけどね。

同年代に徳川家康の伊賀越え(本能寺の変の時、堺にいた家康が伊賀を超えて、本領の三河に命からがら逃げた)に随行した牧野康成(やすしげ)という武将がいたらしい。調べていて混乱した。資料の中にも、明らかに混同しているものもあった。牧野氏自体がそんなに有名じゃないから、しょーがないかもね。