桐生市本町六丁目の田中山浄運寺。

浄運寺 (1)
浄運寺 (2)
浄運寺は、天文年間(1532~54年)玉念上人が広沢村後谷付近に営んだ草庵を起源とし、永禄元年(1558年)に哀愍寺を創建した。 1580年頃、広沢から渡良瀬川対岸の新宿村へ移転、寺名を浄運寺と改めている。慶長10年(1605年)現在地に移転している。

浄運寺 (3)
本堂は寛永元年(1624年)の建立。水害の被害を受け宝暦3年(1753年)に再建。六室構成の方丈系本堂である。正面一間半、両側面及び背面に一間分の広縁を回らす。

屋根は当初茅茸であり、天保6年(1835年)と明治19年(1886年)に茸替えの記録が残っている。明治期の葺き替えの際、茅葺から現在の桟瓦茸になっている。

開山の玉念上人は、天正7年(1579年)安土城下の浄厳院で行われた安土宗論(安土問答)の浄土宗側の首座である。

安土宗論(安土問答)は織田信長の命により、浄土宗の玉念、貞安などと法華宗の日珖・日諦・日淵などの間で行われ、浄土宗側が勝利している。敗れた法華宗は、今後は他宗を誹謗しないとの詫び証文を出させられた。(発端は玉念が安土城下で説法中に、法華宗から議論をふっかけられたことによる。法華宗から言えば折伏。)

安土宗論に関しては、信長の法華宗への陰謀説だとかもあるけど、その後の法華宗側の動き(特に反発せず一揆などを起こさず)をみると、陰謀説は無理がある(と思う)。

玉念上人は信長から直々に扇を賜っている。

浄運寺には安土宗論の記録が残っている。