桐生市西久方町の仏守山義国院青蓮寺(しょうれんじ)。

青蓮寺 (1)
天正3年(1575年)由良成繁の開基とされる。伝えによれば、新田郡岩松郷(太田市)にあった岩松青蓮寺を移築したものと言われているが、青蓮寺の名前だけを持ってきたと考えられる。(岩松青蓮寺は、「岩松館跡 -青蓮寺-」参照)

青蓮寺 (2)
青蓮寺 (3)
本堂は建築当時そのままの姿とされ、柱は安土桃山期の特徴を残している。

青蓮寺 (4)
天正元年(1573年)桐生五郎右衛門から寄進された日限地蔵尊。桐生五郎右衛門は由良家に滅ぼされた桐生家の人物。このお地蔵さんのおかげで、五郎右衛門は由良氏の落人狩りを逃れて、無事に頚(くび)が繋がったので、「頚継地蔵」と呼ばれている。

青蓮寺 (5)
青蓮寺 (6)
インドの象徴であるサールナートで発掘されたアショカピラーを、モニュメントとしてインドの地で作成し招来。インド仏跡のお砂踏み、仏足石などもあった。

由良氏はもともと横瀬氏と言って、新田岩松氏に仕えていたが、享禄元年(1528年)に下克上により岩松氏から太田金山城を奪っている。横瀬氏は小野氏流横山氏一族といわれているが、由良氏と改姓してからは新田氏を自称している。

成繁は天正元年(1573年)に、桐生氏の居城である柄杓山城を落として同氏を滅ぼすと、居城であった金山城を息子・国繁に譲り、翌年に柄杓山城に隠居している。

新田氏ゆかりの青蓮寺を桐生に建立したのは、新田氏の家系だということを誇示したかったから思う。

ちなみに、明治維新後に男爵の爵位を与えられた新田氏は、由良氏ではなく、岩松氏の末裔・岩松俊純である。