桐生市新里町武井の武井廃寺塔跡。

武井廃寺塔跡 (1)
武井廃寺塔跡 (3)
古代寺院の跡と伝えられており、昭和16年(1941年)に国の史跡に指定されている。

武井廃寺塔跡 (2)
武井廃寺塔跡 (4)
土を盛って作られた基壇上に直径107cmの安山岩製加工石があり、その中央部に直径42cm、深さ38cmの穴が開けられている。この加工石を塔の礎石とみなし寺院跡とされた。ところが、これ以外に礎石が発見されず、また地形が傾斜していて寺院が建っていたにしては不自然なため、以前から寺院遺跡であることが疑問視されていた。

昭和44年(1969年)の調査の結果、基壇は一辺約7.8mの8角形で、斜面に化粧石が施された特殊な構築物であることが判明した。つまりは古墳ということ。しかも八角墳は主に天皇陵に採用された形式で、全国でも10例ほどが知られるにすぎない貴重なもの(ここが天皇陵、もしくはそれに準ずると言っているわけではない)。

さらにこのあたりでは、8世紀代以降の石製蔵骨器を伴う火葬墓が多数発見されており、古墳説を裏付ける証拠となっている。現在では礎石と思われていた加工石は、火葬したお骨を入れる「骨壺」とされている。

しかし一度史跡に指定されると、明らかな間違いでもよほどのことがない限り正されることはないと言うこと。例外は「ゴッドハンド」が捏造した旧石器遺跡くらいかな。