桐生市新里町新川の新光太平山妙珠院善昌寺。
ここには、新田義貞の首塚と伝えられる五輪塔がある。

善昌寺 (5)
善昌寺 (1)
大同元年(806年)伝教大師・最澄が上野へ下向の際、弟子の宥海によって創建され、大同寺と称したとされる。

善昌寺 (3)
善昌寺 (6)
短めの石段を上っていくと山門、本堂。義貞の首塚は本堂裏手にある。

善昌寺 (4)
善昌寺 (2)
越前で無念の最期を遂げた義貞の首級を、桃井次郎が密かに持ち帰り、義貞執事の船田長門守善昌に託した。善昌は義貞の首級を手厚く葬り、供養のためこの寺で生涯を終えたといわれている。大同寺はそれ以降、善昌にちなみ善昌寺と称するようになったという。

上記は、主に桐生市のHPから引用したが、実は船田善昌は建武3年(1336年)に、京都での足利勢との戦闘で戦死している。これは太平記にも記載されている。新田義貞の戦死が建武5年(1338年)なので、義貞より早く死んでいるのだ。

なぁ~んだ、根拠のない伝説か、と言うと終わっちゃうけどね。

太田市武蔵島町の花見塚公園内に、勾当内侍が京都から持ち帰ったという義貞の首塚があることは以前紹介した。(「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚 -花見塚公園-」参照。)

まあ、どっちも根拠は確かにないけど、こういう伝説が残るところが、新田義貞の偉大さ、ってとこかな。