吾妻郡高山村中山の若山牧水歌碑。

若山牧水歌碑 (1)
若山牧水歌碑 (2)
大正7年(1918年)、放浪の歌人、若山牧水が愛用のひさごを腰に、沼田から高山村に入り、山屋旅館に1泊し、暮坂峠へ向った。その時休んだという権現峠に歌碑が建てられている。

 利根の流域より名も知らぬ山を越えて吾妻川の峡谷に出づ 
 此處は雪なくてなほ黄葉殘りたり
 雑木山登りつむればうす日さしまろきいただき黄葉照るなり
 このあたり低まりつづく毛の国のむら山のうへに浅間山見ゆ

若山牧水(本名:若山繁)は、明治18年(1885年)宮崎県生まれ。明治43年(1910年)刊行の第3歌集「別離」によって歌人としての地位を確立、翌年、創作社を結成して主宰した。

自然主義の代表歌人で、歌集「路上」「くろ土」「山櫻の歌」などが知られている。酒と旅をこよなく愛し、日本中を旅行し、朝鮮半島へも出向いている。昭和3年(1928年)43歳の若さで没す。

若山牧水に限らず、歌人や俳人の歌碑って、群馬県内にけっこうある。歌碑巡りをするつもりはまったくないけど、歌碑に出会ったら写真だけは撮ってくるよ。