吾妻郡東吾妻町新巻の水牢跡。

水牢跡 (7)
水牢跡 (3)
水牢跡 (5)
水牢は人を水の中に入れる水責めの一種で、主に年貢の取り立てに使われていた。

水牢は吾妻郡の東部(東吾妻町や中之条町)にのみ残っている。きちんとした資料はないみたいだが、岩櫃城主の斉藤氏が行っていたのをその後吾妻郡東部を勢力圏に入れた真田氏も引き継いだようだ。

当時(1650年~80年ころ)、沼田・真田氏の重税は過酷を極め、年貢未納の農家の家族(妻子)を縛って水牢に投獄し、寒中の水の中に立たせたといわれている。そのため、借金をしたり土地を売ったりして年貢を納め家族を救い出した。

あまりの重税や取り立ての過酷さに、「天下の義人 茂左衛門」で有名な杉木茂左衛門に代表される直訴が相次ぎ、他の不祥事も重なり沼田・真田氏は改易になっている。

水牢跡 (6)
水牢跡 (2)
現在は非常にきれいな水を湛え、ここの水は眼病に効くといわれている。

真冬に、縛られたうえ寒水に浸けられるなんて、想像もできない。ろくでもない為政者ってのは、常人では思いもつかないような拷問を考えるね。とんでも領主様だ。