大戸関所跡から約1km高崎側に、忠治処刑場跡がある。
今はそこに忠治を慰霊する地蔵と碑が建っている。国定一家12人の碑もある。

忠治地蔵
忠治地蔵 (2)
忠治地蔵 (3)
忠治地蔵 (4)
忠治の処刑時は300人もの役人が警戒に当たったという。その周囲には1500人の一般民衆(農民)が集まった。天保の大飢饉の際、貧民救済を行っていたからかもしれない。

処刑前に大戸酒造の銘酒を一杯所望し、「上州の酒を飲んで、上州の土になるのが良い気持ちだ。」と言い、もう一杯勧められると、「死に臨んで酔っては死を恐れたことになる。」と断ったという。

そして、14度槍に突かれて絶命したという。享年41歳。