利根郡みなかみ町下津の名胡桃城址。

名胡桃城址 (1)
名胡桃城址 (2)
名胡桃城は、明応元年(1492年)に沼田景冬によって築かれたと伝わる。史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として整備している。

名胡桃城址 (3)
名胡桃城址 (4)
名胡桃城は突き出た段丘面に築かれ、自然の要害に守られた山城である。馬出しから三郭・二郭・本郭・ささ郭と主要な郭が、直線的にに並ぶ連郭式。

名胡桃城址 (5)
本郭址から沼田市方面を臨む。沼田市と言っても、はずれの方だと思う。街はもっと右の方。

名胡桃城址 (6)
名胡桃城址 (7)
名胡桃城址 (8)
資料館が併設されており、ちょっとした資料が展示されている。ボランティア(と思われる)の方が常駐されており、いろいろ説明してくれる。

天正17年(1589年)、豊臣秀吉は沼田を北条領、名胡桃を真田領とする裁定を下したが、北条方の沼田城代・猪俣邦憲の謀略により名胡桃城は奪取されてしまう。謀られた名胡桃城代・鈴木主水重則は、沼田正覚寺で自害している。
(「名胡桃城代・鈴木重則の墓?? -正覚寺 その2-」参照)

これに激怒した秀吉により、天正18年(1590年)小田原攻めが行われ、北条氏は敗れている。まあ、名胡桃事件は口実だと思うけどね。

これにより、沼田城、名胡桃城は真田氏に与えられ、沼田領の安泰とともに名胡桃城はその役割を終え廃城となった。