利根郡川場村谷地の萬松山桂昌寺。
ここには歌人・江口きちのお墓がある。

桂昌寺 (1)
桂昌寺 (2)
桂昌寺 (3)
川場村歴史民俗資料館で、江口きちの資料を見てウルウルきたので、お墓参りに寄らせてもらった。
(「江口きちの生涯にウルウル -川場村歴史民俗資料館-」参照)

江口きち (1)
江口きちは、大正2年(1913年)に川場村谷地の生まれ。

江口きち (2)
幼少時から学業優秀で、昭和2年(1927年)にはアメリカから川場小に贈られた「青い目の人形」を学校代表として受け取っている。

卒業後は、沼田の裁縫所で和裁を習ったりしたが、昭和5年(1930年)沼田郵便局に勤めている。しかし翌年、母親が急死したため川場に戻り父・兄・妹の面倒を見ることになった。

苦しい生活、生来の厭世観、実らない恋(18歳年長者と不倫関係にあった)への苦悩などが入りまじり、昭和13年(1938年)兄・廣寿とともに青酸カリによる服毒自殺。享年25歳。

江口きち (3)
自分で仕立てた純白のドレスを身につけ、胸には真っ赤なバラの花がつけられていたという・・・・・・。また、枕元には辞世の二首があった。
 睡たらひて夜は明けにけうつそみに 聴きをさめなる雀鳴き初む
 大いなるこの寂けさや天地の 時刻あやまたず夜は明けにけり

桂昌寺 (4)
向かって1番右が、きちと廣寿の墓。墓石の前面にきちの戒名、左面には廣寿の戒名が刻まれている。右面には、きちの辞世二首の内のひとつ「大いなる」の歌が刻まれている。(真ん中は両親の墓、左は妹夫婦の墓である。)

生活の辛苦を舐め叶わぬ恋の果て、自ら命を絶った薄幸の歌人。その生活について、ここではだいぶ端折ったけど、けっこう厳しいもんがあったようだ。