沼田市東倉内町の沼田市中央公民館。

沼田市中央公民館 (1)
真田沼田藩2代藩主・信吉が鋳造させた城鐘が保存・展示されている。高さ114cm、口径67.6cm、厚さ7cm。現在、沼田城址(沼田公園)の鐘楼にある鐘は複製品。

沼田市中央公民館 (2)
沼田市中央公民館 (3)
寛永11年(1634年)に沼田で鋳造され、沼田城三の丸の鐘楼にかけられていた。天和元年(1681年)真田氏が改易となったため、平等寺の梵鐘となる。

その後、明治31年(1898年)頃から沼田町の時鍾となった。昭和58年(1983年)、沼田城址(沼田公園)に鐘楼が復元され、最上階にかけられたが、現在は中央公民館に保存・展示されている。

沼田市中央公民館 (4)
「この鐘の音は領内領民を安らかにし、領主の長久を祈るもの」という意味の文が刻まれている。信吉の文字も見える。

「滋野朝臣信吉公」となっているが、真田氏のルーツが滋野氏だから。清和天皇の皇子・貞保親王の孫、善淵王が滋野姓を賜り臣籍降下したのが始りといわれる。

滋野氏は東信濃(長野県小県郡)を中心に信濃国全域、そして西上野国の一部で栄えた。平安中期に滋野氏は三家に分かれ、それぞれ居住とする地名(小県郡海野、小県郡祢津、北佐久郡望月)をとって姓とした。海野氏・祢津氏・望月氏。これを滋野三家という。

三家の海野氏系の幸隆(信吉の曽祖父)が小県郡真田郷を領して以後、真田姓を名乗ったとされる。これだと、真田氏は清和源氏の流れをくんでいることになるが、この系図は疑問視されている。

ちょっと説明が長くなったが、だから鐘には滋野信吉って刻まれているんだと思う。