沼田市井土上町の智徳山成孝院。
ここには真田沼田藩4代藩主・信政の3男・信武の墓がある。

成孝院 (1)
成孝院 (2)
貞和2年(1346年)沼田氏初代・景家の開基、相実法印の開山と伝わる。このときは天台宗の寺院(善桂寺)として創建。

成孝院 (3)
成孝院 (4)
文明4年(1472年)沼田氏6代・景久が中興開基となり、大盛宗隆禅師が、中興開山として、曹洞宗に転じている。

明応4年(1495年)現在地に移り、七堂伽藍の並ぶ広大な寺領を有していたという。境内には山門、鐘楼門、透門とあり、成孝院の三門といわれ有名であったらしいが、天保14年(1843年)火災に遭い建物は焼失した。

弘化2年(1845年)伽藍を再建したが、山門、鐘楼門等は再建されていない。

成孝院 (5)
真田大学信武の墓。
信武は正保2年(1645年)、異母兄・信守とのいさかいから、殺害されている(信守も自刃)。信守17歳、信武16歳といわれている(信武は14歳との説もある)。
(「真田信政二男・信守の墓 -舒林寺-」参照。)

元々仲が悪かったのか、突発的な事件なのかは不明だが・・・・・・。兄弟げんかもここまで来ると・・・、ってことかな。