沼田市坊新田町の慶寿山妙光寺。
真田沼田藩2代藩主・真田信吉の側室である慶寿院の墓がある。

妙光寺 (1)
妙光寺 (2)
妙光寺 (3)
元々は本隆寺といったが、2代藩主・真田信吉の側室・慶寿院が寛文7年(1667年)に慶寿山妙光寺と寺名を改め、自ら開基となり中興開山した。慶寿院は後の5代藩主・信利の生母である。

妙光寺 (4)
慶寿院は寛文9年(1669年)65歳で没している。信利の藩主時代に没しているためか、立派な宝篋印塔である。

慶寿院は依田氏の娘で、元は信吉の侍女であった。寛永12年(1635年)信利を産んだが、信吉は既に前年没しており、3代藩主・熊之助の後見人信政(信吉の弟、後の4代藩主)から、5000石の捨扶持を与えられ、母子で月夜野の小川村へ移り住む。

まあ、正室の子である長男が後を継いだら、側室の子で次男には通常出番は回ってこない。

しかし、異母兄・熊之助が夭逝し、信政が4代藩主に就任。さらには、松代藩主・信之(祖父)が隠居、信政の松代藩主就任によって、信利に5代藩主の座が転がり込んでくる。信利はもちろんだけど、慶寿院の生活も一変したことだろう。

信利が各種不始末により改易されるのは天和元年(1681年)。慶寿院の死から、わずか12年後である。