沼田市西倉内町の沼田城址。
現在は沼田公園として、市民の憩いの場となっている。

沼田城址 (1)
沼田城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰で、天文元年(1532年)といわれている。

沼田城址 (2)
沼田城址 (3)
近世的な城郭の整備を行ったのは、真田沼田藩初代藩主・信之である。二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等の普請の後、慶長2年(1597年)には天守が完成したといわれている。

沼田城址 (4)
沼田城址 (5)
現在、本丸と捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園に、総曲輪の一部が沼田小や沼田女子高の敷地となっている。

本丸跡には鐘楼が復元され、2代藩主・真田信吉が鋳造させた城鐘の複製品が吊り下げられている。(本物は市中央公民館で、保存・展示されている。)

沼田城址 (6)
大正5年(1916年)、旧沼田藩士の子である久米民之助氏は、城址の荒廃を惜しみ、私財を投じて公園として整備し、大正15年(1926年)沼田町に寄付している。久米氏は沼田市の名誉市民になっている。

真田氏時代には、5層の天守や3層の櫓が建てられ威容を誇っていたが、天和元年(1681年)の真田氏改易後、城は幕府に明け渡され、翌2年にすべて破却され堀も埋められた。本多氏時代以降は、三の丸を改修して館を建てる程度の規模になった。

ちなみに歴代沼田藩主は、真田氏5代後、天領、本多氏3代、黒田氏2代、土岐氏12代を経て、明治維新を迎えている。