利根郡昭和村橡久保の加藤丹波守腹切石。

加藤丹波守腹切石 (1)
加藤丹波守腹切石 (2)
天正10年(1582年)10月、沼田城の支城である森下城は北条氏邦に攻められ、城を守っていた加藤丹波守は城を出て最後の一戦を行った後、城の東500mにあるこの石に腰をかけ、切腹して果てたという。

時代背景を補足しておくと、天正10年(1582年)は武田家の滅亡、本能寺の変という大歴史イベントがあった年。本能寺の変で織田信長が倒れると、北条氏が上州へ侵攻し、神流川の合戦で織田方の滝川一益を破ったのを皮切りに、箕輪城まで手中治める。

そんな中での、北条氏による沼田攻略のひとつとして、支城である森下城攻めであった。

加藤丹波守の奮闘により、迎撃態勢を整えることができた沼田城代・矢沢頼綱は北条氏邦を撃退している。(当時の沼田城は、真田昌幸が支配していた。)

沼田地方は北関東の要所で、上杉、武田、北条がしのぎを削っていた。支配者も目まぐるしく変わり、なかなか理解が難しい。