高崎市北新波町の北新波砦址(きたあらなみとりであと)。

北新波砦址 (4)
北新波砦址 (1)
遺跡の名前は砦とついているが、中世の武士の屋敷跡。15世紀後半に築かれたものとされている。

ここは箕輪城主・長野氏の勢力圏内で、戦国期には長野氏家臣の新波新右衛門が守っていたと伝えられる。

北新波砦址 (2)
単郭方形の館の内部は広い芝生になっていて、子どもが遊ぶにはもってこいの場である。この日は誰もいなかったけど。

北新波砦址 (3)
北新波砦址 (5)
単郭で75m四方の方形の郭を有しており、周囲を囲む土塁も完全に残る。堀は埋められているが、土塁の周囲を巡る散策路となっている。南面に出枡形の虎口が開かれている。

武田信玄の上州侵攻の際、箕輪城攻めにあたり、この砦も幾度となく攻められている。新波新右衛門は、永禄9年(1566年)の武田信玄の猛攻の際、箕輪城にて長野業盛の死に殉じている。

今は北新波砦史跡公園として、非常に良く整備されている。緑の芝生がきれいで、砦(館)址ということを忘れてしまいそうだ。