高崎市鼻高町の少林山達磨寺境内にある洗心亭。

洗心亭 (1)
ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、昭和9年(1934年)から2年3ヶ月間この洗心亭で暮らしていた。家具・和紙・漆器など、日本の素材を生かし、モダンな作品を発表。また、建築理論の構築に勤しみ、桂離宮を評価した著書を著す等している。

洗心亭 (4)
洗心亭 (3)
洗心亭は大正時代の建築で、もともと東京帝大学長・佐藤寛治博士の別荘だったが、当時空いていたためタウトが暮らすことになった。

洗心亭 (5)
洗心亭 (6)
内部は6畳、4畳半の2間と、いたって質素な造りである。

洗心亭 (2)
碑にはタウトの「ICH LIEVE DIE JAPANISCHE KULTUR」(私は日本の文化を愛す)という言葉が刻まれている。地域の方々との交流で、タウトは日本文化のすばらしを実感したんだと思う。

タウトは、昭和11年(1936年)イスタンブール芸術アカデミーから建築科教授、兼政府最高建築技術顧問としての招聘があり、日本を離れている。

送別会の席では、「出来得るならば、私の骨は少林山に埋めさせて頂きたい」と言っている。タウトは翌年トルコで死去しているが、エリカ夫人によりデスマスクが少林山に納められた。