高崎市若松町の高崎山龍廣寺。

龍広寺 (1)
龍広寺 (2)
龍広寺 (3)
ここが高崎山というのには意味があって、高崎の地名に関係している。

慶長3年(1598年)、井伊直政が箕輪城から当地(当時は和田)に移った際、「松ヶ崎」という地名にしようとしたが、箕輪龍門寺住職だった白庵が、諸木には栄枯あり、物には盛衰があるのは、珍しいことではない。

ならば、成功高大の意味を採って「高崎」と名付けた方がよいのでは?ということで、高崎になったといわれている。まあ、木(松)は枯れるので、縁起が悪いということ。

のちに、白庵がこの龍廣寺に転住した際、山号に高崎を与えたという。

村上鬼城の墓 (1)

村上鬼城の墓 (3)

村上鬼城の墓 (2)
ここには俳人・村上鬼城のお墓がある。

村上鬼城(本名・荘太郎)は、初め軍人を志すが、耳疾のため断念。父の跡を継いで高崎区裁判所構内代書人となる。正岡子規に教えを請いやがて「ホトトギス」同人となり、「境涯の俳人」と呼ばれる。

龍広寺 (4)
広い墓所なので、ちょっと分かりずらいが、地図がありなんとかたどり着けた。

地図に、元ロシア人兵士の墓というのを発見!これは次回ね。