邑楽郡千代田町下中森の愛宕山宝珠寺。

宝珠寺 (1)
宝珠寺 (2)
宝珠寺の由緒は不詳。山門は平成11年(1999年)に改修されている。

宝珠寺 (3)
宝珠寺 (4)
明治43年(1910年)の利根川氾濫により堤防が決壊、宝珠寺は砂礫のため埋没。その後再建したが、大正元年(1912年)台風により倒壊。同3年(1914年)村内観音堂を移して本堂としている。
(明治43年の利根川氾濫に関しては「千代田町萱野・瀧澤山洞源寺」参照)

現在の本堂は平成28年(2016年)の新築建立。

宝珠寺 (5)
宝珠寺 (6)
境内の庚申塔・青面金剛像やお地蔵さん。

宝珠寺 (7)
志海上人と宗海上人の供養塔(行人塚)。寛文11年(1671年)利根川の洪水に村人が難渋している姿を見、その苦難を救おうと2人の行人が堤防に穴を掘り、その中に入って入定した。村人は行人塚として祀り、寛保18年(1733年)には供養塔を建立した。

その後、利根川の改修により行人塚は河川敷となったが、供養塔は村の観音堂に移し供養を続けてきた。しかし、村のために一身を捧げてくれた大恩人が忘れられる恐れもあり、供養塔を昭和49年(19748年)宝珠寺境内に移している。

前側の新しい供養塔は昭和62年(1987年)の建立。

宝珠寺 (8)
岡戸畊榮(こうえい)の墓。当地生まれの岡戸畊榮(本名:幸四郎)は幼少より学問を好み、江戸で漢学や国学を学ぶ。帰郷後はさらに書や俳諧も究め、館林で私塾を開き青少年の教育に励み多くの人材を世に出している。大正10年(1921年)71歳で永眠。