玉村町大字下新田の玉村八幡宮。

玉村八幡宮 (5)
玉村八幡宮 (1)
建久6年(1195年)、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮より勧請建立。

口碑では頼朝が三原(吾妻郡嬬恋村)へ赴く途中当地にて休息した際、烏川の地形が鎌倉の由比ヶ浜に似ていたため、上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の御分霊を奉安せしめたという。

ご祭神は、応神天皇、神宮皇后、比咩神(ひめかみ)、他15柱。

玉村八幡宮 (2)
玉村八幡宮 (3)
中門手前には、力石「玉遊」がある。弘化4年(1847年)の文字が。力石はその名の通り、力試しに用いられる大きな石である。鍛錬と娯楽として、江戸時代から明治時代まで、力試しが盛んに行われていた。

これを担いだ人として、武州神奈川・徳次郎、武州岩瀬・長次郎の名が。けっこう遠くから、ご苦労さん?

玉村八幡宮 (4)
玉村八幡宮 (6)
本殿正面が幣殿に取り込まれ、権現造に似た形態をとっているが、もとは独立した本殿であったらしい。本殿は、国の重要文化財に指定されている。

玉村と言えば、例幣使街道の宿場町なんだけど、個人的には伊奈忠次。本能寺の変の際、徳川家康を伊賀越えで脱出させた功労者、として知っている人もるかもしれないが、関東郡代として当地一体の新田開発をした。

だから、ここの地名は「新田」なんだよね。