佐波郡玉村町の軍配山古墳。

軍配山古墳
軍配山古墳 (2)
本来は御幣山古墳というが、天正10年(1582年)の神流川の合戦の際、滝川一益がここに本陣を置いたことから軍配山と呼ばれるようになった。
(神流川の合戦は、上州まったり紀行「戦国時代に想いをはせる 」参照。)

古墳自体は4世紀末の造営と推定され、径40m、高さ6mの円墳である。白銅製内行花文鏡や鉄器類が出土している。これらは東京の国立博物館に収蔵されていることからも、その価値が分かる。

鉄器が多く出土していることから、この辺は肥沃な土地で稲作が行われており、それを支配した豪族の墳墓と推定される。

一説には前橋市の総社二子山古墳の被葬者といわれる豊城入彦命の子(孫とも)の彦狭島王が被葬者とも言われる。
(豊城入彦命は、上毛かるた紀行「しのぶ毛の国 二子塚」参照。)

高さ6mというとたいしたことないように思うが、実際に登ってみると意外と見晴らしが良い。今は神流川まで見ることはできないが、当時は軍隊の動きを含めて見えたのか?

滝川一益もここから同じ風景を見ていたかと思うと、ちょっと感激。気分は戦国武将?

軍配山古墳 (3)
墳丘上には、発掘を記念した碑が。珍しく、先客がいた。