太田市新田大根町の妙満山大慶寺。

大慶寺 (6)
大慶寺 (1)
新田義重の養娘(祥寿姫)が、源義平の首を現在の清泉寺に葬り、妙満尼を名乗って治承4年(1180年)この綿打郷に移って、庵をむすんだのが起源とされる。
(清泉寺に関しては、「悪源太義平の墓? -清泉寺-」参照。)

鎌倉時代には、同じ新田一族で大舘家氏の子である綿打太郎為氏が館を構えた。綿打為氏は一門の新田義貞の挙兵に従って転戦し、南朝方として奮戦している。

大慶寺 (3)
大慶寺 (4)
明徳5年(1394年)になって、足利鶏足寺から空覚上人を招いて、大慶寺を開基したといわれる。

大慶寺 (2)
本堂西の不動堂には平安時代の作で、鎌倉時代には「新田の守り不動」として保護された不動明王像が祀られている。これは「泣き不動」とも呼ばれ、建武5年(1338年)の義貞戦死が報じられると、悲しんで泣いたと伝わっている。

大慶寺 (5)
ところで、綿打氏の館跡を示すのは、仁王門横の石碑のみ。自動販売機に隠れており、しかも石碑前にはごみ箱が置かれていた。さらにすぐ後ろはトイレと、まあ悲惨な扱い。

今は牡丹の寺として有名で、4月下旬~5月上旬に赤、白、黄色の花が咲き誇り、参拝客も多い。館跡の遺構はほとんど残ってないみたいなので、こんな扱いもしょうーがないかな?