邑楽郡千代田町舞木の中島将監屋敷跡。

中島将監屋敷跡 (1)
奈良時代に中島三郎家綱(将監)という郷士が住んでいた屋敷跡とされる。それを記した碑が建っている。中島将監は佐貫氏の祖といわれる佐貫太郎資高の祖父。

中島将監屋敷跡 (2)
屋敷跡は面積約1ヘクタール、西南は用水路で区画され(昔は溝堀)、北西には溝堀の旧跡がある平林だったが、明治41年(1908年)に畑地になっている。

明治41年の開墾時、多くの板碑と人骨の入った甕が発見されている。板碑は文字の読めるものが16基あり、最古は弘安7年(1282年)の銘があったとされる。屋敷跡の碑の横に折れた板碑が数基あったが、出土した板碑かもしれない。

宝亀年間(770~81年)に藤原北家の祖・房前(藤原不比等の2男)の孫にあたる小黒麻呂が、当地を訪れ将監の館に滞在した。そのおり、将監の娘・富子と結ばれ資高が生まれた。宝亀10年(779年)とされる。

資高は知勇兼ね備え、成長すると佐貫太郎資高と名乗り、佐貫庄の基礎を固めた。資高の子・資綱、孫・嗣綱も智勇にすぐれ、庄内に一族を配置し勢力を拡大した。この資高の系統の佐貫氏を「藤原小黒麻呂流」と言うらしい。