邑楽郡邑楽町赤堀の天満宮 & 久五郎神社。

赤堀天満宮 (1)
赤堀天満宮 (2)
赤堀天満宮の由緒は不明。小さなお社の中に石碑があるだけ。

久五郎神社
同じくお社内にある久五郎神社(石碑)。大正14年(1925年)の造立。

館林藩主・松平武寛、斉厚父子の遺徳を偲んだもの。武寛は安永7年(1779年)に藩主になると、天明3年(1783年)の浅間山の大噴火に伴う「天明の大飢饉」で被害を受けた領民救済に尽力。嫡子・斉厚(なりあつ)も父同様、天保7年(1836年)に転封で浜田に移るまで、引き続き領民救済を行った。

武寛・斉厚は赤堀地区の新田開発や灌漑施設の整備を実施。また営農指導も行い、当地の農作物の作柄向上に努めている。

そのため、地元農民は「百姓の神様」として武寛・斉厚を「久五郎さま」と敬った。久五郎は武寛・斉厚の幼名。昔は「久五郎堀」「久五郎谷」などと名付けられれた堀や谷があったが、近年の土地改良によって姿を消している。

それにしても、館林藩には領民想いの殿様が多いね。「井河大明神」と尊敬された井上正春、「生き神様」として生祠・秋元宮が建立された秋元志朝。逆に、館林・邑楽はそれだけ土地(農地)に難があったとも言えるけど。

関連
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