邑楽郡邑楽町中野の谷中観音。

谷中観音 (1)
延元3年(1338年)越前・灯明寺畷にて新田義貞が討死。側近として従っていた中野藤内左衛門景春も後を追い自害。景春の自害を聞いた奥方は出家し、妙言法尼と号し景春の菩提を弔った。妙言法尼は興国2年(1341年)に「西の谷の沼尻の辺りに如意輪観音を祀るべし」との神夢により、押落(字名)に一庵を結び如意輪観音像を安置し景春の冥福を祈り続けた。

注)延元、興国は南朝の年号。北朝では延元3年は建武5年、興国2年は暦応4年

やがて荒廃したが、慶長3年(1598年)中野家家臣末裔の金井左五衛門、神藤外記が現在地にお堂を建立、如意輪観音像を移している。

現在のお堂は昭和53年(1978年)の建立。解体した旧堂からは明治元年(1868年)の棟札が発見されている。

谷中観音 (2)
お堂前の灯籠は平成10年(1998年)の奉納。彫刻は獅子かな。

谷中観音 (3)
本尊の如意輪観音像は秘仏で、午年(うまどし)の5月にご開帳される。ちなにみ、景春の兜の守り本尊が如意輪観音とされる。

谷中観音 (4)
境内の如意輪観音像。平成18年(2006年)の建立。本尊(秘仏)に対する「写し本尊」の位置づけのようだ。

谷中観音 (5)
谷中観音 (6)
谷中観音 (7)
観音堂の裏手に「馬多楽神」「神明宮」「聖天山」が祀られている。馬多楽神は分からない。

谷中観音 (8)
境内に遊具が設置されているが、なぜかすべて「使用禁止」になっている。

谷中観音には子宝と安産のご利益があるとされる。地元の皆さんの手により、現在も「お腰」が作られている。「お腰」とは腹巻きのことで、赤と白がある。赤いお腰を巻いて寝ると女の子、白いお腰を巻いて寝ると男の子が生まれるという言い伝えがある。