高崎市保渡田町の紫雲山西光寺。
西光寺は以前、保渡田薬師塚古墳を紹介した際にちょっと触れただけで、お寺自体の記事になっていなかったので改めて紹介する。
(「石棺が剥き出しで保存されてます -保渡田薬師塚古墳-」参照)

西光寺 (1)
西光寺は応永2年(1395年)随泉和尚の開山と伝わる。古くは字阿弥陀にあったが、荒廃したため元亀2年(1571年)誓願上人が中興し字元屋敷に移転している。その後、火災で焼失、現在地へ再移転している。

西光寺 (2)
参道の六地蔵は平成3年(1991年)の奉納。

西光寺 (3)
西光寺 (4)
本堂は文化5年(1808年)に焼失、弘化2年(1847年)の再建。

西光寺 (5)
本堂屋根の葺替え前の瓦(だと思う)。

西光寺 (6)
「護り龍不動明王」とあった。平成18年(2006年)の奉納。

西光寺 (7)
「上野里やすらかかんのん」。平成16年(2004年)の造立。由緒などは分からない。

西光寺 (8)
宝塔は文政12年(1829年)の造立。

西光寺 (9)
西光寺 (10)
天和3年(1683年)に薬師塚古墳から舟形石棺や副葬品が発掘される。銅鏡、各種玉類、馬具類などの副葬品は石棺の中にあったとの伝承がある。これらとともに薬師像もあったという。そのため後円部墳上に薬師堂を建立し安置したいわれる。

西光寺 (11)
西光寺 (12)
薬師堂内部には厨子があり、薬師像はその中に納められている。薬師像は石棺内にあったといわれているが、薬師塚古墳は5世紀末~6世紀初頭の築造とされており、仏教は伝来していない時代。石棺内にあったとしても後の世のもの。ただ、この薬師像が薬師塚古墳の名の由来である。

西光寺 (13)
薬師塚古墳の舟形石棺。

前回は書かなかったが、薬師塚古墳は車持氏の墳墓との説があるらしい。車持氏は崇神天皇の皇子・豊城入彦命を始祖とする上毛野氏の一族で、豊城入彦命8世孫・射狭君を始祖とする。

車持氏が統治していたので車郷(くるまのさと)や車評(くるまのこおり)と呼ばれるようになり、後の群馬県名の元になったともいわれる。