太田氏亀岡町の広谷山儀源寺。

儀源寺 (2)
儀源寺 (1)
勾当内侍は、義貞の首を新田郡武蔵島の地に埋葬し、そこに庵を結び尼となって、菩提を弔ったという。義貞の首塚がある、花見塚公園のあたりか?
(「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚 -花見塚公園-」参照。)

でも戦国時代末になると、廃庵同然になってしまい、それを大通寺第二世の和尚が、元和元年(1615年)亀岡の地(現在地)に移し、寺院として再建したという。

大通寺は、冠掛の松があるところだね。
(「新田義貞 冠掛の松 -大通寺-」参照。)

勾当内侍が上州まで来ていたかは不明である。

一説には・・・。
勾当内侍は娘の山吹姫とともに上州で暮らしており、山吹姫は後醍醐天皇の皇子・宗良親王との間に、国良親王をもうけている。茶臼山古墳に国良親王御陵という碑があるのも、そういったことの証、とか。
(「新田氏累代の墓 -円福寺-」参照。)

まあ、南朝の関係者が、武力的な後ろ盾である新田氏の地元に来ていた、ということも、考えられなくはないが・・・。

オレはこの時代の深い知識がないので、なんとも言えないけどね。