みどり市笠懸町阿佐美の高松山長寿院天龍寺。

長寿院 (1)
長寿院は室町時代の創建と伝わる阿弥陀堂を当地に移し、延宝8年(1680年)阿弥陀堂住職・天龍禅師の開山、大和郡山藩主・本多家の開基。

長寿院の創建には次のような経緯がある。
延宝7年(1679年)大和郡山藩主・本多政長が死去。天龍禅師が本多家の江戸屋敷に奥方を訪ねお悔やみを申した際、奥方から政長を弔うため一堂を建立してくれと頼まれた。その上で、2尺余り(60cm強)の地蔵菩薩像を賜った。その奥方も政長の後を追うように同年に死去。

そこで阿弥陀堂を移し、政長の院殿号「高松院殿」、奥方の院殿号「長寿院殿」と天龍禅師の法名から「高松山長寿院天龍寺」とした。

本多政長は徳川四天王・本多忠勝の5世孫。奥方は土佐藩主・山内忠豊の娘。忠豊は有名な山内一豊の孫。天龍禅師は山内家と縁の深い湘南禅師の弟子。その関係で、天龍禅師は政長奥方にお悔やみを言いに行ったようだ。

長寿院 (2)
長寿院 (3)
長寿院 (4)
本堂は明和2年(1765年)の建立。寛政12年(1800年)、嘉永6年(1863年)などに改築・改修。もちろん以降も修築が行われている。昭和41年(1966年)に屋根を瓦葺きにしている。

本尊は阿弥陀如来。政長奥方から賜った地蔵菩薩像は、現在も本堂に安置されているという。写真ではよく分からないけど。

長寿院 (5)
歴代住職墓地にある開山・天龍禅師の墓。

長寿院 (6)
長寿院 (7)
長寿院 (8)
境内の竹沢薬師。由緒などは不明。以前は長寿院の東400mのところにあったが、寛政12年(1800年)に長寿院境内に移されている。厄除け薬師として地域住民から信仰されている。