太田市新田上江田町の江田館跡。

江田館跡 (2)
江田館跡 (1)
新田義貞とともに挙兵し、鎌倉を攻めた江田行義の館跡と言われている。江田行義は、新田氏の祖・義重の四男・義季の4世と言われる。義季は徳川の祖になった例の・・・である。

江田行義は鎌倉攻め(極楽寺坂の戦)の際、大舘宗氏とともに大将をつとめ、軍功をあげた。(「今は小さな諏訪神社があるだけ -大舘氏館跡-」参照)

太平記には江田三郎光義と記載されているが、行義のことと思われる。

江田館跡 (3)
江田館跡 (4)
江田館跡 (5)
堀と土塁がある以外は、何にもないみたい。土塁上を1周する気にもならなかったので、奥の方へは行ってないが、もしかしたら何かあったかも。

復元図を見ると、相当立派な館である。戦国時代には、金山城の出城として使われていたくらいだからね。

江田行義の最期はよく分かってないが、新田義貞同様、二度と新田荘に戻ることはなかった。江田氏は室町時代、備後国(広島県東部)に落ち延び、足利の目を逃れていたという。そして、室町幕府滅亡後の文禄年間(1592年~1596年)に、10代目がようやく新田荘に帰参したという。

雌伏250年!ってところかな。