太田市岩松町の岩松八幡宮。

岩松八幡宮 (1)
岩松八幡宮 (3)
岩松八幡宮 (4)
新田氏の祖・新田義重が、京都の石清水八幡宮に参拝した際、松の実を持ち帰ってこの地に蒔いたところ、松の木が生えたので、岩松と地名を改めて八幡宮を建てたと言われている。創建は、1170年ころと推定される。

生品神社、笠懸の赤城神社とともに、新田三社と呼ばれる。

岩松八幡宮 (2)
南北朝以降、新田氏の実権が新田本宗家から、傍流の岩松氏に移ったことから、ここを「新田総鎮守」と称するようになった。

岩松氏に関しては、色んな資料を見たのだが、見れば見るほど混乱して・・・。結局は(多分)、足利氏の祖・足利義康の子・義純を祖とする源氏の家系ってこと。でも、義純は新田義重に養育されたという。義重は、新田荘に来る前は足利にいたから、その頃の話し??

もうちょっと付き合って。
で、義純は義重の子・義兼の娘を娶るが、後に畠山重忠の未亡人を娶ったので、前妻(義兼の娘)の子(岩松時兼)は新田方に残った。ということで、父方(義純)は足利氏、母方(新田義兼の娘)は新田氏という関係。

南北朝以降、新田本宗家の没落後、足利氏、新田氏両家との関係をうまく、使い、新田氏の総領職を奪い新田荘を中心に栄えたとか。

戦国時代には、重臣・横瀬氏(後の由良氏)に下剋上され没落した。横瀬氏も新田義貞の子孫と称している。義貞三男・義宗の三男・貞氏の家系。貞氏が横瀬氏に婿入りした、ということみたいだけど・・・。

ちなみに、明治維新後に男爵の爵位を与えられた新田氏は、この岩松氏の末裔・岩松俊純である。

ふぅ~、疲れた。
岩松八幡宮の紀行記のはずが、オレの勉強ページになってしまった。申し訳ないです・・・。(間違いもあるかも。)