みどり市笠懸町久宮(くぐう)の臥龍庵。

臥龍庵 (1)
臥龍庵は元禄9年(1696年)国瑞寺開山の独湛禅師の創建と伝えられる。ただ、独湛は天和元年(1681年)までには笠懸を離れているので、創建は国瑞寺2世・大梁和尚と考えられる。

臥龍庵 (2)
臥龍庵 (3)
臥龍庵 (4)
創建当初は質素な庵室のみであったが、宝暦8年(1758年)に久々宇村名主・高橋十兵衛が自分の所有地を提供し本堂を建立している。

「臥龍庵」以外に「四天王尊」の扁額も掛かっているが、享和元年(1801年)に四天王像を安置している。四天王は諸病を治す霊験があるとされ、参拝者が絶えなかったという。そのため従前地(字元庵)では手狭になったため、天保7年(1837年)に現在地(字西浦)へ移転している。

臥龍庵 (5)
本尊の観音菩薩像と四天王像。

臥龍庵 (6)
本堂脇の庚申塔や供養塔。

久々宇村は武州(埼玉県)本庄近郊の利根川沿岸にあり、利根川の氾濫に度々遭遇し難渋していた。そこで岡登景能が開発した笠懸野に希望者を移住させて、新たに笠懸野の「久々宇村」としたと伝えられている。埼玉・久々宇村は現在本庄市になっている。

寛文年間(1661~73年)の記録には「久々宇村」の名は見られないので、それ以降の臥龍庵創建(元禄9年)までに移住が進み、村が形成されたと考えられる。

久々宇村には阿弥陀堂があったが焼失してしまったため、村人が国瑞寺に臥龍庵の創建を依頼したという。移住してきて、何かと苦労があったと思われるので、何か信仰できるものが欲しかったと言うことかな。