太田市徳川町の伝新田義重夫妻の墓。

伝新田義重の墓(3)
伝新田義重の墓
伝新田義重の墓 (2)
前回の徳川東照宮から数百mのところにある。今は畑の中にポツンって感じ。

新田義重は源義国の長男で、新田氏の始祖である。義国の次男・義康は足利氏の始祖である。義重や義康は、あの有名な八幡太郎義家の孫ということになる。

義重は四男である義季(徳川)を寵愛し、晩年は義季の館に同居していたといわれている。義季は、義重の死後邸内にその墓を建てたという伝承があり、それがこの墓である。つまり、昔は義季の邸内だったということ。そうすると館としては大きい。

昭和45年(1970年)の墓地整備の際、礎石下から火葬骨の入った骨壺が発見されている。骨はまた埋め戻されたが、誰の骨だったのか・・・。

義重が頼朝の挙兵に非協力的だったことから、新田氏は鎌倉時代に冷や飯を喰わされることになる。さらに後の政義の不始末により、新田氏は没落していく。

しかし、新田氏関係のお墓って、いっぱいあるね。義重のお墓は大光院にもあった。
(上毛かるた紀行、「太田金山 子育呑龍」参照)

新田氏累代の墓と称するものも、行っただけでも長楽寺、円福寺にある。
(「天海が住職をしていたらしい -長楽寺-」、及び「新田氏累代の墓 -円福寺-」参照)

まあ、新田氏は地元では慕われているから、みんなで弔っているということだね。